石と像じ水式寺け台348清岸寺本堂 所在地 幡ヶ谷二丁目36-1 浄土宗・法界山 清岸寺 この本堂は、明治32年頃に千葉県岩井町市部(現南房総市)の今村氏が建てたもので、通称岩井御殿と呼ばれていました。今井氏は、砥で財をなしたといわれています。昭和20年5月の空襲により、本堂を失った清岸寺は、この岩井御殿を昭和24年に譲り受け、同26年に木材の一部を入れ替えて移築し寺院の本堂としたものです。住宅を仏堂に転用し、かつ明治期における高級住宅の様態をうかがえる事例として、貴重な価値を有しています。銅造千手観音菩薩立像 所在地 神宮前六丁目25-12 慈雲山 長泉寺(非公開) 長泉寺に伝来したことが確認できる銅造千手観音菩薩立像は、清仏坐像を安置します。像高は約177cm、台座や高く掲げた両手までを含めると、床からの高さは約260cmもあります。背面の銘文から、享保4年(1719)10月に鋳造されたことが明らかとなり、多くの寄進者によって造立された本像は、江戸時代中期の歴史的、信仰史的な価値を有する大作であります。いししきせいすい〈区指定有形文化財 平成24年11月22日指定〉と呼ばれる作例で、頭上に高く掲げた両手の上に化〈区指定有形文化財 平成24年11月22日指定〉ぶつ木造聖観音菩薩立像(人肌観音) 所在地 神宮前六丁目25-12 慈雲山 長泉寺(非公開) 本像は、金王丸伝説と結びついて「人肌観音」とも呼ばれていたと伝えられています。針葉樹材を用いた一木造の像は、内部をくり抜かない手法で造され、膝をゆるめて前かがみとするそのお姿から、来迎形阿弥陀三尊像の脇侍にあたると考えられます。造像された年代は、切れ長な眼を伏せた生彩ある表情などから、鎌倉時代前期の作と考えられます。本像は、中世にさかのぼる観音像として、また金王丸伝説と係わりをもつものとして高い価値を有します。木造不動明王立像 所在地 渋谷三丁目5-8 天台宗・渋谷山 東福寺(非公開) 本像は、かつて東福寺に所在した護摩堂に安置されていたものです。左目をすがめ、牙を上下に出し唇を歪める表情は、天台系の特徴を表し、頭上に蓮を載せるのは真言系の特徴を示すことから、両様の要素を備えた興味深い作例です。針葉樹材の一木から彫成された本像は、その姿勢から、鎌倉時代の作と考えられます。区内に所在する不動明王像としては、最古例に属する優品で、高い評価を有します。〈区指定有形文化財 平成24年11月22日指定〉〈区指定有形文化財 平成26年12月4日指定〉ぞうぞうれんだいゆが
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