い倚が木造観音菩薩坐像及び達磨大師坐像・伽 所在地 東四丁目10-33 臨済宗・普光山 吸江寺(非公開) 観音菩薩坐像は、構造技法に際立った特色をみせています。体形はブロックを重ねたように重苦しい特徴から院の作と考えられますが、形式を簡略にしているので15世紀の作とみられます。きょくろくに坐り、着物を垂らしています。本像 達磨大師坐像は、曲も、院派仏師の作風に通じる特色がみられ、観音像とほぼ同時期の作と思われます。 伽藍神倚像は、中国宋代の道教神を祀る形式に基づき、江戸時代に達磨大師像と対をなす作例が多くなります。本像は木寄せ法などの特徴から、安土桃山時代から江戸時代初期の作と思われます。 この3躯は、禅宗寺院特有の尊像形式を示す貴重な作例です。 当山の3躯は、禅宗寺院特有の尊像形式を示す貴重な作例です。 〈区指定有形文化財 平成21年2月26日指定〉額毫亭寄翁座344347ぞう像しん神らん藍茶室花雲 所在地 代々木三丁目26-1 浄土真宗・聖徳山 諦聴寺(非公開) 本茶室は、昭和初期に活躍した数奇屋師・3代目木村清兵 茶室花雲は、昭和初期に活躍した数奇屋師・3代目木村清兵は近代の茶の湯文化を牽引した数奇衛の作といわれ、その扁によります。)の揮者・益田孝(鈍 三が併設され、水屋と・下床人腰掛待合が一棟にまとめられています。意匠的に大きな特徴は、)の「写」ということです。多彩な大阪の水心銘木等を組み合わせた吹袋格や違棚の形態、台目畳の構成などに燈心亭の引用がみられます。 花雲は、数奇者と数奇屋師が共同し、歴史的な名席を独自に解釈しつつ新たな茶室を作り出すという、近代における和風建築の展開を物語る上でも貴重な茶室といえます。おうどんさんだいどこじょうとうで、にじり口と貴神宮(燈〈区指定有形文化財 平成22年10月7日指定〉、床脇の天いんへんがくごうにんぐちしんていごうじょうぶくろふきてんてんよせぶっかんじょうしぱ師仏派ざげめき台畳目口無瀬天井きみなせやすわし請神敷氏訪諏藩島高州巧色舎輪虹拝桁金具わもやぐはいこう壽稲荷本殿 附 石造手水鉢(明和8年在銘) 所在地 渋谷二丁目12-15 公益社団法人 日本薬学会長井記念館(非公開)と 本建築は、江戸時代に信して勧されたと考えられます。明治時代に長井氏がこの屋敷地を購入し、昭和30年代に長井氏の子孫が日本薬学会に寄贈しました。その際、壽稲荷も日本薬学会の所有となりました。 小規模ながら随所に精が施されるのが本建築の特徴です。その彩色表現は二様あり、建立当初と後世の彩色とに分けられます。特に当初の彩色を留める身梁、向に、徳川氏の家紋である三つ葉葵紋がみられることは注目に値します。 本建築は、密度高く装飾され、かつ三つ葉葵紋を有する17世紀にさかのぼる建築として希少であります。五輪塔 所在地 幡ヶ谷二丁目36-1 浄土宗・法界山 清岸寺 境内にある4基の五輪塔は、その様式から中世(室町時代)に作成されたものと考えられます。五輪塔の材質は、安山岩と砂岩がそれぞれ2基ずつとなっています。 本五輪塔の伝来については、不明な点が多く、明治の廃仏毀釈により廃寺となった、法界寺の頃から当地にあったものか、 それ以後に参宮橋から引き移ってきた、清岸寺が持参したものかは、はっきりとしません。しかしながら、区内においては、中世にまでさかのぼりうる資料は希少で、貴重な文化財といえます。〈区登録有形文化財 平成22年10月7日登録〉正面の軒な彩ならびに飾〈区指定有形文化財 平成21年2月26日指定〉はんしまたかしんしゅうこうさいしきせいかざりげたかなのき下屋敷の屋柱、台、妻がみしきりょうこうだいつま
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