渋谷区勢概要2024
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もり盛れい冷ぜい泉336東福寺梵鐘所在地 渋谷三丁目5-8東福寺梵鐘天台宗・渋谷山 東福寺 所在地 渋谷三丁目5-8宝永元年(1704)の銘があるこの梵鐘には、金王八幡宮の縁起な 天台宗・渋谷山 東福寺ど渋谷の歴史が刻まれています。その銘の一部に「後ご帝のとき、 宝永元年(1704)の銘があるこの梵鐘には、金王八幡宮の縁起なご渋谷の旧号谷の庄は新王院の地にして七郷に分る。渋谷郷はそのど渋谷の歴史が刻まれていますが、その銘の一部に「後帝のとき、や一なり」という部分があります。これによれば、渋谷の地名は古く渋谷の旧号谷の庄は親王院の地にして七郷に分る。渋谷郷はそのは谷盛庄といい、七郷に分かれていて渋谷郷はそのうちの一つで一なり」という部分があるので、渋谷の地名を谷盛庄とも呼んでいある、ということが書かれている貴重な資料です。たことがわかる貴重な資料です。黒田長政の墓黒田長政の墓 所在地 広尾五丁目1-21所在地 広尾五丁目1-21 臨済宗・瑞泉山 祥雲寺臨済宗・瑞泉山 祥雲寺 豊臣秀吉の天下統一に貢献した福岡藩祖黒田長政は、京都柴豊臣秀吉の天下統一に貢献した福岡藩祖の黒田長政は、がく京都柴野大徳寺の龍りゅうに深く帰依していました。元和9年(1623)野大徳寺の竜尚に深く帰依していました。元和嶽9年(1623)に長政が没すると、嫡子忠之は龍獄を開山とに長政が没すると、嫡子忠之は竜岳を開山として祥雲寺を建立しました。当寺に建てられた黒田長政の供養碑は非常に雄大なして祥雲寺を建立しました。当寺に建てられた黒田長政のものです。墓碑は非常に雄大なものです。 また、祥雲寺の檀家には武士が多かったため、諸大名の仏教また、祥雲寺の檀家には武士が多かったため、諸大名のに対する深い信仰を示す墓地群があります。仏教に対する深い信仰を示す墓地群があります。〈区指定有形文化財 昭和51年3月26日指定〉〈区指定有形文化財 昭和51年3月26日指定〉猿楽塚 所在地 猿楽町29 ヒルサイドテラス内 2基の築山が並んでいますが、いずれも死者を埋葬した古代の円墳といわれています。 そのうちの高さ5メートルほどの大型の方を、昔から猿楽塚と呼んできました。この塚があることから、この地域を猿楽といい、現在の町名の起源となっています。金王八幡宮社殿及び門 附 渡り廊下 所在地 渋谷三丁目5-12  金王八幡宮 金王八幡宮は社記によると、寛治6年(1092)に源義家が後三年の役の凱旋途上で、創建したといいます。現在の社殿は、徳川家光が3代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母春日局とともに慶長17年(1612)に造営したといわれています。その後、たびたび修理されましたが、江戸時代前期から中期にかけての建築様式をとどめている貴重な建物です。 平成22年には、社殿に附属してその価値をいっそう高める建物として、渡り廊下が附として指定されました。       〈区指定有形文化財 昭和51年3月26日指定 附 渡り廊下 平成22年10月7日附指定〉〈区指定史跡 昭和51年3月26日指定〉もりりゅう〈区指定史跡 昭和51年3月26日指定〉〈区指定史跡 昭和51年3月26日指定〉れいがくしょうりゅうそう冷泉盛やお宗劉岳和339ぜい区登録・指定文化財

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